戦後日本が高度成長期に突入した1950年代以降、労働人口が増加した全国主要都市ではたくさんの「団地」が誕生しました。そこには欧米スタイルの生活提案がふんだんに盛り込まれ、多くの日本人が団地での“アーバン”な暮らしに憧れたものでした。

そんな団地にもいまや高齢化の波が押し寄せ、建物も老朽化の一途、昭和の団地は変革のときを迎えています。今回は、「住まい」そして「街」としての新たな魅力を生み出すために再始動した、昭和の団地の新たなプロジェクトについて紹介します。

アーバンライフを叶える憧れの住まい

「団地」とは、同一敷地内に建てられた共同住宅群のことをいいます。日本における団地建築の代表格いえば、鉄筋コンクリート造集合住宅の元祖といわれる「同潤会代官山アパート(東京都渋谷区)」、日本で初めて「ダイニングキッチン(DK)」や「ベランダ(バルコニー)」といった住空間概念を採り入れた「蓮根団地(板橋区)」、高層団地の先駆けとなった「晴海高層アパート(中央区)」、郊外エリアに多い「庭付き・2階建てテラスハウス」スタイルの手本となった「多摩平団地(日野市)」などです。

いずれもすでに解体されていますが、建物の一部は都市再生機構(UR=Urban Renaissance agency)が運営する「集合住宅歴史館」に移築復元されています。

蓮根団地の入居が始まった1960年代当時には、欧米スタイルの暮らし方や多世帯が集う団地生活上のマナーについて、兄嫁が新婚の義妹にアドバイスするドラマ仕立ての生活指南映画も制作されました。

兄嫁曰く、「最初は(日本家屋と比べて)壁が広く見えて驚くと思うけれど、棚やタンスなどの家具を置いて工夫をして。家具やカーテンの色の調合も大切よ」「壁に家具を密着させると(コンクリートの)結露被害を受けやすいので隙間を空けて置いてね」「冬場、窓を閉め切ってストーブを使い続けると一酸化炭素中毒になるので換気を忘れずに」「床の防水が施されているのはお風呂とベランダだけだから、キッチンの水漏れには気を付けてね」「生ゴミは各戸内に取り付けられたダストシュートへ、紙ゴミは屋外の共同焼却炉へ捨てるのがルールよ」など、年配者には懐かしく、若い人には驚きの内容になっています。この映画も、前述の集合住宅歴史館で見ることができます。

震災、戦争、高度成長…時代に追従する団地

大正後期、関東大震災後の住宅供給を目的とした「同潤会」の設立から団地の歴史は始まりました。

同潤会は第二次世界大戦勃発を機に解散し、入れ替わりで発足した「住宅営団」は、戦中の物資不足に瀕しながらも木造団地の開発に尽力しましたが、その記録はほとんど残されていません。終戦後、住宅営団はGHQの要請で解散となり、団地開発の空白時代が訪れます。

やがて日本は未曾有の高度成長時代に突入し、大都市圏への労働人口流入、それに伴う住宅不足に対応するため、URの前身である「日本住宅公団」が設立されます。これ以降、戦後復興のシンボルともいえる「ニュータウン」政策が実行され、関西の「千里ニュータウン(大阪府吹田市他)」、関東の「多摩ニュータウン(東京都多摩市他)」や「港北ニュータウン(神奈川県横浜市)」といったマンモス団地が次々と誕生していったのです。

令和のターニングポイントを迎えて

団地最大の魅力は、公園や学校、病院、商業施設といった「街」としてのインフラをくまなく網羅した壮大なランドプランといえます。

電車やバスに乗らなくても日常生活が完結できる環境は得難いものです。

そんな暮らしやすさもあり、長く住み続ける住民が多く、高齢化の問題も垣間見えています。たとえ若いファミリーが入居してきたとしても、周囲が高齢者世帯ばかりでは孤立してしまいます。そんな中、古くからの居住者同士が協力し合い、若いファミリーやその子供たち向けのイベントを企画運営する動きもあります。

品川区にある「八潮パークタウン」では毎夏、敷地内の緑地帯や遊歩道に色とりどりのキャンドルを灯すイベントが恒例行事となっています。これは団地居住者で構成されるNPO団体が運営するもので、密にならず、キャンドルの明かりを辿りながら夕涼みが楽しめると好評です。

コロナ禍で各地の花火大会や夏祭りは軒並み中止となるなか、このイベントは例年通り実施され、子供たちはここぞとばかりに浴衣や甚平を纏い、ほのかに灯るイルミネーションを1つひとつ指さし、「ここにもあった」「あそこにも光っているよ」とはしゃいでいます。

住民の高齢化のみならず、時代遅れの間取りプランや建物自体の老朽化も顕著となった団地は、新たな活路を模索せざるを得ない時期に来ています。これらの建築的課題に対応するべく、URでは一部の新築団地に独自研究のスケルトンインフィル工法を採り入れ、水回りを含めた将来的な大規模リノベーションにも対応できるよう準備を進めています。

加えて、昭和から平成にかけて建築された旧態の団地に関しては、家具・インテリア雑貨販売で人気の高い「無印良品」や「IKEA」といった企業とコラボレーションしながら、若いファミリー層に対し積極的なアピールを行っています。

「無印良品」の提案例

独自の「団地アンケート」結果をもとに、小天井やキッチン台の高さに合わせて調整可能なユニットシェルフ、押し入れサイズにフィットする収納ボックスなどを利用した、すっきり暮らせる室内空間を提案。

「IKEA」の提案例

「スカンジナビアンモダン(北欧風スタイル)」「トラディショナル(伝統的スタイル)」「ポピュラーモダン(クールかつシャープなスタイル)」の3パターンのインテリアプランと、IKEAオリジナルのシステムキッチン設置やインテリアコーディネートアドバイスのオプションを提案。

無印良品やIKEAとのコラボレーションはインテリア中心の内装工事に留まりますが、この試みによりターゲットである若いファミリー層の関心が引けたことは事実です。またスケルトンインフィル工法を採用した築浅団地に関しては、ダイナミックなリノベーションが実施されるのは数年先となるので、今後の経過を見続けていきたいと思います。

オンボロ団地が億ションに変貌も

余談ですが、現在URや住宅供給公社(JKK)が開発・管理する団地のほとんどは賃貸住宅ではあるものの、過去に遡れば分譲販売を行っていた時代もあります。前述の「同潤会代官山アパート(現・代官山アドレス)」や、同じ渋谷区にあった「うぐいす住宅(現・センチュリーフォレスト)」がそれにあたり、いずれも都心の一等地にありながら、団地の真骨頂ともいえる広大な敷地に恵まれていました。

この2物件が竣工した当時の団地といえば低層が主流で、高層と言っても10階建て程度でした。

これらの物件を現代の建築技術で建て替えれば、天を仰ぐタワーマンションに変貌させることも可能です。建て替え後、所有者(地権者)たちは敷地の持ち分割合によって住戸面積を分配されるため、建設地の敷地が広ければ広いほど大きい住戸、または複数住戸の所有権を得ることができます。そのため、査定価格が数千万円程度だったオンボロ団地でも、建て替え後には億ションに化けるというケースも多々あったようです。

まとめ

戦後の高度成長期に「アーバンライフの象徴」とされた昭和の団地は、欧米的なライフスタイルを日本文化に融合させるという一連の役割を終えて、次なるステージへと進む準備を始めています。

しかし中には、2度目の東京オリンピックを経て取り壊しの危機にさらされている団地もあるかも知れません。

現在の日本はスクラップ・アンド・ビルドに向かっていますが、古き良き時代の佇まいに魅力を感じている若い層も少なくはありません。少数派かも知れませんが、そういった層を狙ったビジネス展開もあるのではないかと考えます。